一如上人御影

一如上人
慶安2年(1649)7月〜元禄13年(1700)4月東本願寺14世琢如上人の四男にて 童名を利輿丸、諱を瑛含、謚を恩光院殿、法名を琢性のち琢亭という。 萬治4年3月御得度され、越前福井御坊本瑞寺と河州八尾御坊大信寺を御兼住される。 延寶6年5月長兄常如上人んお御法嗣として本山に入られ、直ちに法眼に叙せられ、 諱を光海と改められる。 同年8月大僧都に任じられる。 延寶7年1月法印に叙せられる、同日正僧正に任じられる。 同年11月御當職御相續延寶8年2月大僧正に任ぜられる。 元禄4年春尾州名護屋御坊御起立あり。 領主徳川大納言光友卿より百間四方の地をご寄付あり。 元禄7年3月新御門主眞如上人とともに関東へ御参向の節、御定例の御饗應相濟 同年同月27日、兩御門主御登城ありて、五代将軍徳川綱吉公大学の御講釈したもう。 兩御門主御聴聞あり。竹ノ間にて別段の御馳走を賜り、またお囃しにて大樹公 自らの舞を御拝見される。

元禄13年4月12日御遷化       52歳  謚を無礙光院殿 別号  愚山  洋々子

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