元祖 圓光大師御影

 

法然上人  長承2年(1133)~建暦2年(1212) 80才
浄土宗の開祖、法然房という。美作国(岡山県)久米の押領使漆間時国の子。久安3年15才のとき比叡山に登り源光・皇圓に師事し、同6年黒谷慈眼房叡空に就き法然房源空と号した。承安5年43才のとき善導大師の観経疏の文により専修念仏の教えを弘められたので、浄土宗ではこの年を以て立教開宗の年とされている。文治2年大原勝林院で南都・北嶺の学匠と聖浄二門の義を論じられた。建久9年九条兼実公の請により選択本願念仏集を著された。元久元年、山門の僧徒が蜂起して專修念仏の停止を座主の眞性に迫ったので、「七箇条制誡」を草して署名し、門弟190名が連署して延暦寺に送った。しかし翌2年10月、興福寺の僧徒が念仏新宗の九失をあげて念仏停止と師弟の処罰を訴えた。よって源空上人は建永2年土佐に流罪となった。建暦元年11月赦されて東山大谷に住されたが、翌2年1月25日御入滅された。

裏書   不詳

仕様 絹本 着色 本金欄表装  幅66.5㎝×高177㎝

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