御壽像

嚴如上人 文化14年(1817)~明治27年(1894)
東本願寺21世門跡 達如上人の第3子にて童名を豫君、諱を大谷光勝、謚を眞無量院殿、別号を愚皐、法名を厳如という。初は諱を朗澄、院号は霊心院殿、法名を達住と称し、長浜御坊大通寺住職となられ姫路御坊本徳寺と兼務。新門跡の寶如上人が御遷化におよび天保12年(1841)法嗣となる。弘化3年(1846)継職。安政5年(1858)元治元年(1864)の両度にわたり東本願寺が炎上したので両堂再建につとめた。維新に際してしばしば朝廷に献金、明治5年(1872)伯爵に列し、明治9年(1876)11月28日親鸞聖人へ見眞大師の勅謚号、明治15年(1882)3月22日蓮如上人へ慧燈大師の勅謚号が宣下された。明治18年(1885)門跡号を復し明治22年(1889)職を現如上人に譲り枳殻邸に隠居。明治27年1月15日遷化 78歳。御在職44年
裏書 大谷本願寺釋厳如 御印
壽像
明治24年辛卯5月16日
美濃國不破郡平尾村
願證寺常住物也
願主 嚴祥
仕様 絹本 着色 本金欄表装 巾81㎝×竪207㎝
御讚「一切凡夫 皆乘願力 捨比穢身 即證常樂」